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吉備国の中心は岡山だよ

吉備国(きびのくに)は、現在の岡山県全域と広島県東部と香川県島嶼部および兵庫県西部(佐用郡の一部と赤穂市の一部など)にまたがる古代有数の地方国家の一つです、まあ岡山県がメインだと思って頂ければわかりやすいと思います、

つまり歴史のある県なのです、岡山は・・・・

別名は、吉備道(きびのみち、きびどう)、備州(びしゅう)ともいいます、

吉備は古代、畿内や出雲国と並んで勢力を持っていたといわれ、巨大古墳文化を有していた事は歴史の教科書で学んだと事ですよね。また、優れた製鉄技術があり、それが強国となる原動力であったとされていることはあまり知られてないと思います。

しかし、当時の日本文化で製鉄技術の高さは吉備国を非常に有利な状態にする要だったのです、

吉備勢力は出雲征服を試みるも完遂寸前に出雲東部の意宇王の前に失敗してしまします。以後、ヤマト政権と同盟して列島の統一・治世に貢献し、古墳時代から飛鳥時代まで繁栄した地方として重視されました。河内王朝時代には、ヤマト政権中央部に対抗するほどの勢力を誇ったが、これがヤマト政権の警戒を呼んだのか、後はヤマト政権の謀略などで勢力が削減されて行く事になります。どの時代でも力あるものは疎まれ、静粛させてしまうのですね。

古墳時代、吉備地方の現在の岡山平野南部は内海となっていた事はご存知でしょうか。4世紀からこの内海の近くに多数の前方後円墳が造られた。この地方独特の特殊器台・特殊壺は、後に埴輪として古墳時代に全国に広まったのです。それは吉備国の力がいかに強力だったかをあらわす一つの証左であると私は思います。

5世紀にヤマト政権内で権力を掌握した大泊瀬幼武大王は地域国家連合体であった国家をヤマト王権に臣従させて中央集権を進めるために、最大の地域政権の一つ吉備に対して「反乱鎮圧」の名目で屈服を迫ります。吉備下道臣前津屋の乱(463年)と吉備上道臣田狭の乱(463年)の「反乱鎮圧」を成功させてヤマト王権の優位を決定づけ、さらに雄略の死の直後の吉備稚媛(雄略妃)と星川稚宮皇子(雄略の息子)の乱(479年)でまたしても吉備の勢力を削減させているのです。 6世紀半ばからは巨大な石で構成した横穴式石室を持つ円墳が造られるようになります。吉備は弥生時代からの塩の生産地であり、さらに6世紀後半には鉄生産が開始された。つまり当時の吉備国は突出しており、造山古墳、作山古墳は建造当時で全国最大級、日本全史を通じても全国4位・9位の巨大さを誇り、吉備地方の繁栄とこの地の豪族の力を示すものなのです。

これら古墳の前にあたる前方後円墳時代の吉備と、後にあたる7世紀の吉備地方には、複数の豪族が並び立っていたと考えられています。私も豪族になれればとついつい思ってしまう事があります。死んでしまったら意味がないかもしれませんが、自分の古墳とかがあったら、何か嬉しいですよね(私だけでしょうか?)

造山古墳・作山古墳を統一的な吉備政権の存在の証とする説と、この時代にも複数の有力豪族の連合政権であったとする説がありますが私にとってはどちらもそれなりの根拠がありどちらが正しいのかはわかりません。『国造本紀』によれば、吉備地方には吉備氏のもとに大伯氏、上道氏、三野氏、下道氏、加夜氏(賀陽氏、賀夜氏、香屋氏)、笠臣氏、小田氏がり、この中の下道氏と笠氏は、後に朝臣の姓(かばね)を名乗る(吉備朝臣)とされています。奈良時代に日本をリードした学者・政治家の吉備真備は下道氏である事はご存知ですよね。

まあとにかくヤマト政権時代から活躍した吉備国の中心である岡山について多くの方に興味を持ってもらいたいです。

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